日本心エコー図学会

歴代理事長 追悼文

宮武 邦夫先生

別府 慎太郎先生

吉田 清先生

竹中 克先生

中谷 敏先生

海外から寄せられたお悔み

KSEからのお悔やみ

EACVIからのお悔み

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<歴代理事長 追悼文>


宮武 邦夫(在任期間:1995年7月~2002年3月)

 日本心エコー図学会名誉会員の吉川純一先生は平成28年6月22日ご家族に見守られながら享年75歳でご逝去されました。超人的な人生を歩んで来られた吉川先生のご訃報は、ご指導頂いた多くの人にとって、心エコー図の巨星を失った喪失感と大きな悲しみに包まれました。ここに謹んで哀悼の意を表させて頂きます。
 初代の理事長を務められました吉川先生は日本心エコー学会にとってまさに生みの親であります。日本心エコー図学会誕生の時を思い起こしますと吉川先生は冠動脈瘤の断層心エコー図診断をCirculationに発表され、すでに世界的な心エコーのリーダーになっていた1980年後半は日本における心エコー診断の臨床応用がまさに全国に広がろうとする時期であり、丁度、米国心エコー図学会の創設機運の時期でもありました。吉川先生は心エコー法の進歩、発展、臨床応用、教育のためには心エコー図学会を作り、日本中が一体となって進むことが必要と皆に声掛けされて尽力されました。1989年に吉川先生をリーダーに日本心エコー図研究会が創設され、初代理事長に就任、翌、1990年5月に第一回日本心エコー図研究会を神戸にて開催されました。当時の事を思い起こしますと熱気にあふれる中で発表、議論がされました。なかでも僧帽弁逸脱の術中所見と心エコーとの対比など新しい企画で熱く討議したことが楽しい思い出として浮かびます。また、1992年には夏期講習会を立ち上げ、海外から講師を招き、最先端の心エコー図情報や検査のポイントなど教育に人材育成に力をそそぎ、日常診療に役立つ検査法としての確立に多大な貢献をされました。これらを基礎に設立時約1000人であった会員が現在の5600人を越える学会に育ちました。
 ここに吉川先生の人材の育成、教育に力を注ぎ、良質な医療をめざし、なおかつ研究者としての道を歩まれた功績に深甚の敬意を表し、心より感謝の意を捧げますとともに謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。



             

別府 慎太郎(在任期間:2002年4月~2008年12月)

 不世出の気配りグローバリスト:吉川純一
 今年初めに突然吉川大兄の講演のピンチヒッターを頼まれた。後日「ゴメンゴメン」と電話を貰ったが、悪い予感がしていた。不幸にも予感があたり大兄は逝かれた。通夜でも告別式でも、お棺の中のお顔を見て、止めどもなく涙が溢れた。自分の親が逝った時以来の涙。 昭和48年の第1回UCG談話会以来40余年間もの長い付き合い。あの八時二十分の眉毛はどうも憎めなく、学会や研究会では時間を見つけては酒の杯を重ね、鍋をつついてきた。「神戸」と「大阪」で心エコーの新知見の発表を競ったものの、会場ではお互い論議を楽しんで、まるで掛け合い漫才のようだと揶揄された。大学も違うし、病院も違う。でも、惹かれた。大兄には「身内」という考えがなく、関係のない病院の先生でも、その仕事の中身や取り組む姿勢を評価しておられた。編集者として一緒させて頂いた「月刊心エコー」や「心臓病診療プラクティス」では、筆者の選定に際し「彼は最近頑張ってるよ」と小生の知らない名前が出てくるのに驚いたことがある。よく見ておられる。口癖は、「若い人を育てなくては・・」
 案外知られていないことだが、「日本心エコー図学会」は激動の中で生まれている。「臨床心音図研究会」は心エコー図の隆盛とともに「臨床心臓図学会」となり、さらに1987年に「日本心臓病学会」に変わった。この産声を聞いた2年後に、心臓病学会の御大の坂本二哉先生が米国心エコー図学会の設置よりも先に我が国にエコーの学会を創りたいと申され、心臓病学会から袂を別つ形で「心エコー図研究会」が設置された。当時心臓病学会での中心的領域はエコーであり、いくつかの物議を醸したが、大兄が初代理事長となり、何となく収まってしまった。あの八時二十分のにこやか顔での、多くの根回しと気配りの結果であり、会の幹事などはすんなりと決まった。ここから、大兄のエコー布教が始まる。多くのエコーテキストの編集を始め、翌々年には「エコー神戸」を開催。Pandian先生とNishimura先生を初回の講師とした同時通訳付き講習会で、現在も夏の講習会として継続している。「エコー神戸」の手本となったのが、「エコーハワイ」。Mayo ClinicのTajik先生がACCから委嘱された講習会である。これに大兄は「神戸」の研修生を多く参加させた。勿論通訳などない「生の英語」の講演だが、本物を経験させたいと仰っていた。
 いつも学会や研究会ではあの明るい声が聞こえてきた。その周りの人は皆にこやかであり、これは海外でも同じであった。米国のPopp, DeMaria, Tajik, Shah, Feigenbaum, Kisslo, Martin, Hommaなど、イタリアのDistante、中国の王、韓国のBae先生などなど、吉川大兄の周りに集まってきた。人を引き寄せる魅力、それは全て細かい気配りの結果だったのである。
 あの八時二十分の眉毛、皺のある目尻、大勢の中では隠れてしまうくらい小柄である。しかし、握手をした手はぽっちゃりとして弾力があった。小生よりも小さい手なのだが、暖かく、包まれてしまう。あの感触は今でもある。でも、あの人は、もう、いない。合掌。



 

吉田 清(在任期間:2009年1月~2013年1月)

 吉川純一先生のご逝去を心からお悔やみ申し上げます。
 私が吉川純一先生と初めてお会いしたのは、1976年、新神戸駅の近くにあった神戸市立中央市民病院の心エコー図室でした。トイレを改造した小さな部屋でしたが、当時の日本では、独立した心エコー図検査室がある病院は少なく、ここから世界に向けて情報を発信しよう!という気概にあふれたとても活気のある雰囲気であったのを覚えています。その頃世界の潮流は、Mモード法から、断層心エコー図法に移行しつつあり、神戸でもメカニカルスキャンの断層心エコー図の撮像が可能となっていて、先生は世界に先駆けて川崎病患者における冠動脈瘤の描出に成功し、top journalに掲載されています。先生はいつも、「大学に負けない臨床研究を目指そう」と言われていました。そのためには世界に向けて情報発信をしなければいけないとの思いから、Indiana大学Feigenbaum教授、Stanford大学のPopp教授、Mayo ClinicのTajik先生らを繰り返し日本に招き、交流を深めて行かれました(写真)。その結果、Textbook of Echocardiography( Feigenbaum著)などアメリカで出版された書物に多くの日本発の論文が引用されることとなりました。1990年には米国で心エコー図学会が創設されるとの情報を聞きつけられ、米国に先んじて日本心エコー図学会を立ち上げられ、文字通り世界の心エコー図学のリーダーとしてご活躍されました。 今日の日本心エコー図学会の発展は、吉川純一先生のご尽力があってのことと改めてその功績の大きさを再認識しております。
 ありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。



 

竹中 克(在任期間:2013年2月~2016年1月)

 心エコー図学の領域において、研究業績、教育業績、診療業績、それぞれに優れた先生は少なくありませんが、吉川純一先生はその中でも飛び抜けて光り輝く存在です。吉川先生は、日本でも外国でも人が集まるところ、自分のことは後回しにして、その場にいるすべての人に温かい心配りをし光をあてるという「人間的業績において希有の存在」でした。

 吉川先生と同じく、深く酒と人を愛し、多くの人びとの共感と信頼を得て、天保2年に先生より2歳だけ若くして旅立たれた良寛さんのお言葉を引用し、先生のご冥福をお祈りします。

   この子らと 手鞠つきつつ遊ぶ春 日はくれずともよし

   散る桜 残る桜も 散る桜


                        

中谷 敏(在任期間:2016年2月~)

 日本心エコー図学会の創設者、初代理事長の吉川純一先生が2016年6月22日にご逝去になられました。75才でした。まだまだご活躍いただける年齢でしたが、長年の間、お体をむしばんできた病魔には勝てず、残念としか言いようがありません。
 今から約30年前、私が本格的に学会活動を始めた国立循環器病センター時代、学会で常に新しい発表をされ、そして私たち国循グループの発表にも活発にディスカッションを仕掛けてくるのはいつも神戸中央市民病院の先生方でした。そしてその神戸中央軍団を束ねておられたのが吉川純一先生でした。いつも颯爽と軍団を引き連れて学会会場を闊歩しておられたのを思い出します。しかし決して近寄りがたい先生ではなく、人を引き付ける何とも言えない笑顔とともに私のような若輩者にまで親しく声をかけていただき感激した覚えがあります。その後、吉川先生は日本心エコー図学会を設立されましたが、一貫してそこに流れるのはBeyond Universityというお言葉に表れているように組織の垣根を超えるというお考えだったかと思います。施設がどこかにかかわらず吉川先生の薫陶を受けて心エコー図学の世界にはいり、今では各所でリーダーとなっておられるたくさんのお弟子さん達がそのことを物語っています。またそれは国外にまで及び、Stanford大学のPopp先生、Mayo ClinicのTajik先生、Seward先生、Oh先生、韓国のBae先生、Chung先生など世界中にたくさんの友人を作られ心エコー図学会のグローバル化に大きく貢献されました。現在、アメリカ心エコー図学会のYIAセッションではアメリカ心エコー図学会やヨーロッパ心エコー図学会の理事長とともに日本心エコー図学会の理事長が審査員を務めています。世界中にたくさんある心エコー図学会のことを考えると日本心エコー図学会は破格の扱いを受けていると言わざるを得ません。このようなことを実現できたのはやはり吉川先生のご尽力が大きかったと感じています。吉川先生はまさに心エコー図学会のゴッドファーザーでした。吉川先生、今まで走り続けてこられ、私たちを育てていただきどうもありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。



 

<海外から寄せられたお悔み>


・KSEからのお悔やみ

Seung Woo Park, MD
President of Korean Society of Echocardiography

Dear Dr. Nakatani and all the friends of Japanese Society of Echocardiography,

On behalf of Korean Society of Echocardiography, I am very sorry to hear that Professor Yoshikawa passed away.
It must be a huge loss in the field of Echocardiography in the world as well as in Japan.
He was one of the best contributor for the progression of Echocardiography.
Also, he was a best friend and teacher for KSE members for a long time.
KSE will never forget his contribution to our society.
Any words could not express how saddened we are to hear of his loss.
Please accept our sincere condolence.



・EACVIからのお悔み

Gilbert Habib
Prof. Gilbert Habib
President of the European Association of Cardiovascular Imaging

Prof. Bogdan Popescu
President-Elect of the European Association of Cardiovascular Imaging

Prof. Patrizio LANCELLOTTI
Past-President of the European Association of Cardiovascular Imaging



・ASE Newsletterより

ASE News

・AAEからのお悔やみ

Letter to Professor Yoshikawa Family